generosityが試されている
2017年4月4日
読了時間: 2分
大阪市内に引っ越してきて、ちょうど一年。
今住んでいる場所は、昔からの歓楽街に近く環境がすこぶる悪いところ。

引っ越していきなりの古紙回収の日に新聞を家の前に出していたら、
(長屋の多いこの地区は、各家の玄関の前にゴミを出すのです)
その上に紫と黒のブラジャーが置かれていて、まず度肝を抜かれました。
その後も。
朝、玄関開けたら酔っ払いの吐いたものがぶち撒けられていたり。
夕方仕事から帰ったら、家の前の道路に大量ウンチが車に轢かれてへばりついているし。
ごみ収集の日ではない日に、お隣のゴミがカラスに突つかれて中身が道路中に散乱して、放置されているし。
きゃ〜〜〜!!
今まで静かで空気の綺麗な住宅地で十数年過ごしてきたので、
久々の試練の機会がやってきました。
人が出した排泄物の数々を、
横を通る人々の視線を感じながら掃除するのは
本当に様々なことを感じる時間です。
いかに自分の価値観が狭いものか。
汚物を持って突きつけられた感じです(笑)
目の前で起こっていることは、
自分の価値観を問われているね。
こうして
人は自分が今まで作り上げてきた価値観を現実に照らし合わせて、
了見の狭さに気づいたり頑なさに気づいたりして、
より自由になっていくのだろうな。
淀んだドブ臭が漂うこの場所で、
ずーっと昔から人々が暮らしを営んでいるんだなという、
揺るぎない、この歴史的事実。
なぜ私はこの地にご縁があって今、住んでいるのだろうという、問い。
どれだけの見えない価値観や様々な生き方を、ニュートラルに受け入れることができるのか?
generosityが試されているな、って感じる今日この頃。




















コメント