top of page

人は皆、自分を納得させたくて生きている

ずっと生きてきた今の自分を「肯定する」作業が必要だ。

そのためには

自分の中にあるわだかまりや不安と対峙しなければならない時が

必ずやってくるのだろうと思う。

誰の心の中にも

澱のように積もった

思い込みや様々な感情や記憶など。

いくら蓋をしていたって

もう出たいと言っているのを無意識では感じ取っているのでしょう。

人それぞれ

その時々に・・。

そんなことを感じる言葉たちだった。

”(小説「永い言い訳」を今このタイミングで書いた理由として)

いい年をして子どもを育てたこともないっていう、

子どもがいないまま中年になった人間の

身の置き場のなさ、であるとか。

それが悪いことではないんだけれど別に。

ただ、世界の中での自分の立ち位置がどんどんわからなくなってくる。

20代、30代では感じなかったんだけれど、

自分の中に重なってくる、いろんな負い目、引け目みたいなもの、

年令層のそういったものを、

ある意味

その自分の中の足りなさ、欠落を逆手にとって、

「絶対に自分だけじゃない、この欠落感とか寄る辺なさを感じているのは」とか

自分の恥、欠落として出せば、ちょっとだけ新しい角度を投じられるんじゃないかと”

NHK SWITCH

西川美和さん

いきものがかり 水野良樹さん

お二人の対談から

西川さんの言葉より

人は皆

自分の生きていきた選択を

これでよかったんだと思いたい

それは

いつか迎える死の時に向けての修行なのかもしれないな・・とも思う。

必ずやってくる死への間近な過程とその瞬間に

様々なものを手放して身軽になって

穏やかに逝きたいと無意識で願っているからこそ

人生の様々なステージで

自分のやり方で向き合い、何かを生産しながら生きているのではないかと思う。

それが

はたから見たらどんなに惨めでもみすぼらしいと思われようとも

そんなことは見る人の価値観でしかないことを

自分に納得させたくて

「これでいいんだ」と

自分に勇気を与えたくて

オリジナルな創作活動をしていく中で、

自分が自分を応援しているような気がする。

続いて見た、

NHK ドキュメント 72hours「福井 真夏の無人氷屋」の中での

45歳女性の言葉もまた印象深かった

”子どものいない彼女は40代で離婚し、自分の生きる証として

スナックを最近オープンしたのだと。

なぜ?

「手のかかるものって、私の中になかったから。

手のかかることをしたかったの」”

創作活動とは他者とのコミュニケーション。

私たちはいずれ1人になって逝くのだけれど、

その道のりの中では

誰かの存在を意識しながら自分を肯定する作業をしているのかな・・

よりよく逝くための修行。。

そんなふうに感じた

秋の夜長・・。


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page